大河ドラマ・麒麟がくるの第6回で後に、実質的に天下人となる三好長慶の襲撃計画が描かれています。
その波乱万丈の42年の生涯の隠れた歴史を追って、その凄さに迫ってみましょう。
もしこの回を見逃したら、見るべき理由がきっと見つかります。
さらに、長慶研究の基本書「三好長慶」(1968年)の著者長江正一さんの珍しいエピソードにも触れます。
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目次
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「麒麟がくる」の三好長慶襲撃計画の場面を見逃したら
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(吉田鋼太郎さんは松永久秀役)
三好長慶(みよしながよし)は1522年徳島県に生まれ、後に天下人となる織田信長より12年歳年上ということになります。
その人生は波乱万丈でした。
父元長が重臣として仕えた足利将軍家の管領・細川晴元に暗殺され、わずか10歳で家督を継いで、12歳で、父の仇細川晴元の家臣となります。
その後、細川晴元のもとで離反や帰参を繰り返しながら勢力を拡大し、ついには、1549年に細川晴元と将軍親子を京都から追い出し、三好長慶が政権を握ることになりました。
この後、摂津を平定するなどして、五畿内(山城・摂津・大和・河内・和泉)を中心に8か国を支配して幕府の実権を掌握し、実質的な天下人となります。
しかし、晩年は優秀な二人の弟の急死や家臣の松永久秀の裏切りで、心身ともに、衰弱し、42歳で短い生涯を終えます。
織田信長との関りでは、「細川晴元と将軍親子を京都から追い出し、三好長慶が政権を握る」、「全盛期の永禄2年(1559年)2月に織田信長がわずかな供を連れて上洛しているが、長慶とは面会せず」「松永久秀らは、新たに台頭した織田信長と彼が推戴する足利義昭に協力したため、三好政権は崩壊する」などがありますので、今後も三好長慶が登場する回は何度かあると思われます。
以前、三好長慶を検索してもわずかの記事で寂しかったのですが、最近は検索数も増えて、2019年以降三好長慶をテーマにした歴史番組が3つ以上も取り上げられ、注目されているのが分かります。
以下がそれです。
1. 2019/4/6BSテレ東(ミステリアス・ジャパン)信長に先駆けた武将・三好長慶…大東市
2. 2019//6/16NHK総合(歴史秘話ヒストリア)信長より20年早かった男最初の天下人
3. 2019/9/16BS.TBS(日本!歴史鑑定)信長より先に天下人になった男三好長慶
4. 2020/3/13NHKラジオ深夜便(日本列島くらしのたより)大阪府堺市
三好長慶の凄さとは?
(1)先を見る鋭い目を持っていた。
・私利私欲で下剋上をなしたのではなく、細川家、足利家など家督争いに絡んで、戦争が絶えない世を、戦争のない平和な安定した世の中にしたいが為に働いた。
・畿内を掌握するために、堺の経済力を重視しており、貿易によって莫大な軍事費や軍需品を入手した。
・城の石垣、鉄砲やキリスト教等の先進的な事例を多く採用した。
(2)「襲撃計画」でも連歌会の場面が出てきますが、三好長慶は連歌を好む文化人で、当時の武将の中でも高い教養を誇っていた
(3)戦歴は素晴らしいものですが、細川晴元同じ相手に合戦と和睦を繰り返すというように負かした相手に対して寛大な心を持っていた
逆に言うと非情になり切れず、決断力に欠けていたともいえる。
三好長慶研究の第一人者長江正一さんのエピソードとは
徳島県の女学校の教師を退職後、三好長慶研究に黙々と打ち込んでいた長江正一さんも、生前は注目されることが少ない方でした。
その昔、長江正一さんと接点のあった方からお話しを伺いました。
「私の祖母の妹さんのご主人が長江正一さんです。長江さんは出版当時、著書「三好長慶」を親戚に送られました。私の所もいただきました。」
「私の家は関西にあり、ある日訪問されましたときにお話を伺いました。」
「私が三好長慶の本について尋ねると、ライフワークだ。と言う言葉がまだ耳に残っています。」
「私がみよしながよしのことをみよしちょうけいと言ってしまったので。気分を害されたのではないかと、今でも思います。本を読んでいなかったこと丸わかりです。」
「ひょうひょうとして、おとなしい、決して偉ぶれた様子もない控えめな方で、その意味でも尊敬できる方だと思いました。」
「この写真は訪問になられた時の写真です。丹前に着替えて、リラックスされて、庭で撮影です。」
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三好長慶へのみんなの感想
畿内を制圧した三好長慶も、最後は家臣の松永久秀の裏切りにあって殺された。
まとめ
ポイントをまとめますと
- 三好長慶の凄さは、天下人となる武力・統率力のほか経済人、文化人としての力量があったことです
- 三好長慶とともに、歴史に埋もれていた研究の先駆者長江正一さんを取り上げました
- 大河ドラマ・麒麟がくるの三好長慶の回見逃したらU-NEXTがお勧めです
明智光秀のように、一度裏切り者などの色がつくと世間の評価はなかなか変わりません。
三好長慶は戦国時代に下克上した武士として、織田信長をはじめとする三人の天下人と比較すると影が薄い存在でした。
徳島県人がなんとかその凄さを世に知らしめようとしてきて、最近ようやく日が当たり始めました。
その先駆者が長江正一さんです。この方の地味ながら継続的な基礎研究がなければ、三好長慶は完全に歴史に埋もれていたでしょう。
三好長慶とともに、長江正一さんにもぜひ光が当たってほしいと思いました。